瞑想ならぬ迷走?瞑想にまつわる思わぬ落とし穴

最近は瞑想に関する記事を書いていませんでした。

毎日続けるというのは意外と大変です。劇的な効果や目に見える変化、逆にやらない事による大きなデメリットが無いと、モチベーションを維持するというか習慣付けるのはなかなか、難しいものな訳で、、、

という言い訳を先に書きましたが、最近は少しサボり気味でした。

今更何ですが、瞑想って何なんでしょうか。。。改めましてWikipediaで調べました。

瞑想冥想(めいそう、meditationcontemplation)とは、仏教から伝わる瞑想、ヨガから伝わる瞑想により内容は大きく異なるが、心を静めて無心になること、何も考えずリラックスすること、を静めてに祈ったり、何かに心を集中させること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことなどとされている。本来は冥想と書くと思われる[1]。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者()をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。現代では、健康の向上や心理的治療、自己成長、自己向上などの世俗的な目的をもって、様々な瞑想が行われている[2]
↑Wikipediaより引用

ひと昔前、スティーブジョブズ氏が瞑想(マインドフルネス)をやっていたという事もあり、現在でもGoogle社を始め、有名企業や意識高い系のビジネスマン界隈でも、仕事の能率アップや、アイデアの創出等に効果があるという事で取り入れている方が多いようです。

さて、ここまでの記載で何か違和感を感じた方はいらっしゃいますでしょうか?

私自身も、DAIGOさんの動画で紹介されているのを見て、やってみようかなーという軽いノリで始めてみました。ですが、果たしてコレで本当に良かったのでしょうか???

Wikipediaの後半にも書かれていますが、「自己成長、自己向上、世俗的な目的」この辺のキーワードが引っ掛かります。何やら本来の瞑想とはかけ離れた考え方に見えてきてしまいます。

もし、ビジネス的なメリットや良いアイデアを生み出し、利益を出す為のきっかけとして、「瞑想」を利用しているのが前提ならば、それは仏教で言う、取り払わなければならないはずの「煩悩」ではないでしょうか。

煩悩とは心身を悩まし、迷いや苦しみの原因となる心のけがれなんです。要するに己の欲を満たす為に瞑想を取り入れているのであれば、本来の目的だったハズの無心であったり、心を鎮める行為とは真逆の狙いが潜んでいるのではないでしょうか。

 

散々、瞑想をオススメしておいてこんな事を書いてしまいスミマセン。と悩みましたが、もし真剣に瞑想をするのであれば、バックグラウンドとなる仏教からどのように生まれたのか、何故生まれたのか、どういう理由で取り組むのか、なぜ、自分は瞑想をするのか、、、よく考えて取り組むべきだと思いました。

これさえやっておけば、きっといい事が起こるハズだ。新サービスのアイデアが思い浮かぶのではないか?気になるあの人と仲良くなれるのでは?等、邪心を持って取り組むのは間違いであろうと思います。むしろ災いが襲い掛かるかもしれません。

ジョブズ氏はどちらだったのでしょうか。私は恐らく彼なりに仏教についてよく勉強した上でやっていたのではないか?と思います。Appleを立て直す為に、神頼み的にやっていたとは思えないのです。

果たしてシリコンバレーの優秀なビジネスマン達は仏教の教えを勉強された上で取り組んでいるのでしょうか?

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この記事を書いた人

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