先日、太った太ったと嘆いていましたが、今も夕食を減らして耐えています。よくあるパターンとして、夕食はバナナ1本と蒟蒻畑1~2個です。たまに豆乳も飲みます。
ふと思ったのですが、最近紹介している「瞑想」って色々な効果が見込まれます。ダイエット効果もあるのではないか?と思い始めました。(チョット調子乗りすぎ?w)
瞑想がダイエットの補助になるのは本当か?
瞑想には色々な効果があります。その中でも血行を良くしたり、代謝を良くしたり、免疫力を高めたりといった効果があります。
また、注意力、集中力を高める訓練にもなりますので、カロリー制限持の空腹感に対応する手段として、意識を別の事に向けたりマインド的にもダイエットの味方になってくれる事が容易に想像できます。
空腹時は瞑想で一点集中!雑念を振り払え!
本来、医学的であったり宗教的に始まったはずの瞑想が実はダイエットにも効果があるのではないか?と思い始めたので、今後も実践していきたいと思います。
今までは朝、瞑想をする事がほとんどでしたが、夕食を減らして夜、空腹で眠れないとか、何か食べたいという食欲に見舞われた時に瞑想をしてみようと思います。
でも、最近は既に瞑想のおかげなのか?病気のせいか分かりませんが、夜バナナ一本でも空腹にならなくなりました。
瞑想ってそもそも、、、仏教から来たのか?いや違うようです。
「瞑想」という言葉自体は、仏教に由来するものではなく、荘子など道教に由来する言葉である事が分かっています。私は仏教だと思い込んでおりましたので「岩波仏教辞典」で調べてみたところ、以下説明がありました。
“引用:
冥想・・・目を閉じて深く思索するという意味。東晋の支遁の「詠懐詩」に「道会冥想を貴び、罔象 玄珠を掇る」とあり、大道に合一するために冥想が貴ばれいる。深い精神集中のなかで根源的な真理と一体化することを「冥」の字を用いて表すことは、「荘子」およびその郭象の注にしばしば見られる。「冥冥に視、無声に聴く。冥冥の中、独り暁を見、無声の中、独り和を聞く」「荘子」天地、「冥然として造化と一と為る」「荘子」養生主、郭象注など。「瞑想」もそうした「荘子」の思想を背景として出てきたものと考えられる。しかし、伝統的な仏教ではこの語はほとんど用いられてない。近代になって、仏教がヨーロッパで研究・実践されるようになると、禅やチベット仏教の実修がヨーガなどとともに、meditation、contemplationとして理解されるようになった。それが邦訳されて「瞑想」と呼ばれるようになった。ヨーロッパにおいても、カトリックやキリスト教神秘主義の伝統では瞑想を重視する。ここから、仏教の瞑想もこれらのヨーロッパの伝統と比較され、また、心理学や精神医学の領域に取り入れられたりして、広く普及するようになった。”『岩波仏教辞典』岩波書店より
つまり、仏教ではない別の道教という思想から来ているものなんですね。荘子という人物の思想が背景となっているようなので今度は荘子について調べてみました。
Wikipediaにて荘子について調べてみたので以下に記載しておきます。
“引用
荘子
荘子(そうし、Zhuang Zi、紀元前369年頃 – 紀元前286年頃)は、中国戦国時代の宋の蒙(現在の河南省商丘市民権県)に産まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物である。姓は荘、名は周。字は子休とされるが、字についての確たる根拠に乏しい。曾子と区別するため「そうじ」と濁って読むのが中国文学、中国哲学関係者の習慣となっている[1]。史記には、「魏の恵王、斉の宣王と同時代の人である」と記録されている。[2]
荘子が生まれた蒙の属する宋は当時弱小国の一つであった。荘子が生きていた時代に宋王剔成君は、弟の偃に追われ亡命し、偃がそのまま王位に就いた。しかし偃は暴逆により前286年、斉、楚、魏の連合軍により殺され、宋は分割され滅亡してしまう。[3]『史記』のある挿話には、楚の威王が荘子の評価を聞き宰相に迎えようとし、礼物を持って荘子を訪ねた。すると荘子は「千金は大したもの、宰相は最高の地位でしょう。しかし郊祭の生贄になる牛をご覧なさい。長年、美食で養われ、錦繍で飾られ、最後には祭壇にひかれていく。その時いっそ野放しの豚になりたいと思うも、手遅れなのです。わたしは自由を縛られるより、どぶの中で遊んでいたい。気の向くままに暮らしたいのです。」といい断った。”
何だか難しい内容になってしまいましたが、今の瞑想はビジネスマン達の間でも流行っているマインドフルネス瞑想という、少し科学的アプローチが盛り込まれた形で現代に継承されているようです。
あのスティーブジョブズ氏もやっていたそうですね。私はミーハーなんで最近の流行に乗って見様見真似で続けていますが、確かに効果は感じております。
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